武道の部屋

柳生新陰流兵法

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柔道を始める

私が武道に触れたのは中学3年の時でした。

強くなりたくて、何か始めたかったのですが、きっかけがなくそのままになっていました。

中学3年の担任は柔道部の顧問で、当時中3の部員が減ってしまっていて、やたらとあちこち勧誘をしていました。

私の学校は中高一貫校なので、柔道部は高校生と一緒に稽古します。

友人が見学してみようかな?というので私も行ってみました。

その友人は入部しませんでしたが、私はチャレンジしてみることにしました。

高校2年の部長はごっつい人でしたが、いきなり厳しくはせず、しっかりと受身の基本をやらされ、稽古終わりの腕立てや腹筋も、「新入部のものはここまで」「中学生はここまで」と区切って無理をさせないやり方でした。

それでもいままで筋トレなどしたことのない自分には結構効きました。ある晩、入浴していると道着で擦れた肌にお湯がしみるので、ゆるゆる手で流していると・・・?筋肉がついてきている?・・・そう、結果が見え始めました。肘の尺骨が見えるほど細かった自分の腕が少しずつ太くなってきたのでした。それから稽古に行くのが楽しくなりました。

うちの柔道部はそんなに強くはありませんでしたが、充実した時期を過ごせたと思っています。

空手を始める

高校の終わりころ、空手に関心を持ち空手道場に入門しました。いわゆる実戦空手、フルコンタクトの流派の神奈川支部道場の一つで、支部から指導員が来て小学校の体育館での稽古でした。

実戦空手といっても稽古は基本が中心、2時間のうち半分は基本稽古、その後移動稽古、約束組手と稽古をして仕上げに自由組手をやるという稽古でした。

 

しばらくすると、前に出て最初の基本稽古の号令かけなどをやらされるようになりました。

私は生まれつき股関節が硬くハイキックが得意ではなかったのですが、組手では柔道で鍛えた腰を活かしてのローキックと正拳突きというシンプルな形の動きでした。

柔道で首を鍛えていたので、ハイキックを首にもらっても倒れず進んだこともありましたが、そんな時は翌日湿布を当てながら大学の授業を受けるような状況でした。

夏合宿は茅ヶ崎海岸で行われましたが、朝早くから腰まで水に浸かって千本蹴りなどでヘトヘトタクタ。仕上げの組手もハイキックを出す相手の蹴りが届く前に目に潮水が当たり目潰し状態、今思うと良い思い出です。

合宿のレクリエーションで相撲大会があった時は茶帯・黒帯の先輩を差し置いて決勝近くまで進みました。これは柔道経験者が有利です。私を負かしたのは同じ道場の先輩で小柄な方でしたが、この方も柔道出身でした。

 

大学は建築学科だったので、だんだん時間が取れなくなって空手からはフェードアウトしてしまいましたが、あの頃学んだことは体に染みていると思います。

古武道との出会い(武藤正雄師との出会い)

大学の頃から時代小説を読むようになり、初めは幕末もの、信州に通うようになってから戦国ものも読むようになりました。社会人になった頃、刀(刀法)に関心を持ち、鎌倉の刀屋さんで安い居合刀を買って居合の真似事を始めました。その頃出入りしていた高校の卒業生が始めた模型屋さんに集まる仲間の一人Yくんも古武道に関心があるという話をしていました。

そのうち、家のすぐそばに「柳生心眼流」の先生がいて、昔から日曜日に稽古をしていて気になっているという話をしました「柳生心眼流?知らないな〜。柳生新陰流は聞いたことあるけれど、どんな武道なの?」私の認識は当時その程度でした。彼はその後入門し、私をしきりに見学に誘いました。

神保町に行った際に立ち寄った武道具店のオリジナル居合刀が気に入り、自分なりの好みを入れてオーダーすることにした際、入口近くに新陰流の袋竹刀がありました。「あれ?これって新陰流の竹刀ですよね?」と聞くと「よくご存知ですね」と言われ「友人が武藤先生から習っているので」というと、「武藤先生をご存知でしたら、割引いたしますのでいかがですか?」と言われ購入して帰りました。

その後、道場を見学することになり、武藤先生とお話ししました。

「何か気になる流派とかはあるかい?」と聞かれその頃少し見知った流派の名を出すと「ちょっと待ってなさい」と言われて母屋からお菓子の缶を抱えて戻られた先生が「君のいうのはこの流派だね」と巻物を出して見せてくださり、その流派の伝系などについてお話しくださいました。

その時に「あ、この先生に習わないと損だ!」と思い、入門したい旨お願いすると「新陰も稽古したいか?」と問われ「是非」というと、「じゃあ月謝は4,000円、あと竹刀がいるね」とおっしゃったので「実は竹刀は居合刀を作ってもらった○○武道具店で購入したものを持っています」というと「そうか、あそこの竹刀は私がつくり方を教えて置いてもらってるんだ」とのこと、何か運命のようなものを感じました。

その頃、午前中が子供たちで、午後から大人たちが集まってきて日暮れまで先生宅の裏庭で稽古をします。入門してからは午前中、子供達の稽古の中盤くらいから行くようにして、見学していると「吉岡さん、つけましょう」といって先生より直接稽古をつけてもらう機会が得られました。

雨の日は稽古はお休みですが、「逗子まで来てしまいました」と電話すると「じゃあ来なさい」とおっしゃってくださり、書斎で伝書の勉強もさせていただけました。

その後、現宗家が仕事の都合で東京に来ることが多くなり、東京の稽古が始まるとそこにも顔を出させていただき、大和道場の前身多摩道場を先輩が開くことになった時も補佐として稽古させていただく機会をいただいたり恵まれた環境でした。

私が入門して少しした頃、私を誘ってくれたYくんが病気のため亡くなりました。Yくんは先生のお宅のすぐそばに住んでいたので、演武などの帰りは先生をお送りしていたのですが、次に逗子に近い私が先生のお供をする機会が増えました。演武帰りに逗子駅までお送りすると「おい、行くぞ」と言って2、3件お店に連れて行ってくださり、その日の演武のことや古武道の話などいろいろお話しできたのは今の自分の糧となりました。その頃先生は瓶ビールを1本をゆっくり飲むくらいでしたが「あんたはどんどん飲みなさい、食べなさい」と言ってくれたのと、武道の話をされる時の楽しそうなお顔は忘れられません。そして「不思議だよな〜、武道に関わらなかったら出会うことも話すこともないような人たちが、ただ武道をやったというだけで、一緒に飲み食いし、楽しく語れるのだから」といつも嬉しそうに言われていました。

これからも精進せねばいけませんね〜〜〜​

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柳生心眼流體術

​荒木堂 第十世 武藤正雄師

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